タイトルにあるこの時刻、溺愛の家族が旅立ちました。
2003年4月28日にわが家にやって来た、アメリカンショートヘアのミックスの捨て猫。
あれから19年と2か月もの間、楽しく過ごしてきました。
名前は「れもん」。名付け親はわが家にれもんを連れてきてくれた、当時小学6年の長女でした。
通っていたECCの英会話教室で、先輩の女の子に猫を飼いたいと話していました。
たまたまその女の子が、捨て猫がいる情報を得て、長女に話をしました。
母猫と共に複数の子猫を預かっていたのは近くの運送屋さんでした。
長女は友達と見に行きました。すでに何匹かは引き取られていたようです。
長女が選んだのは、メスで尻尾が短い猫でした。短い尻尾がかわいいと。
わが家に来るために、産まれてから一か月くらい経過して母猫から離してからと言うことになりました。
誕生日は正確にわからないので、わが家に来た日からちょうど1か月前にすることにして
3月28日としました。
とても活発な運動神経の良い猫でした。部屋のドアノブにジャンプして閉まっているドアを開け出入りしたり、窓の網戸サッシは、前足でスライドさせ、勝手に開けて外に逃亡することもありました。
悪知恵の頭の良さも良く、外に逃げるときは、そーと足音を忍ばせて行動してました。
一緒にキャンプに出かけたり、スキーに家族で出かけたときも一緒に行動しました。
書き始めたら、終わらないほどのエピソードを残しました。
2年ほど前くらいに皮膚がただれるような病気になりました、精密検査を受けましたが、
効果のある治療法はなく、またすでに年配であったため、麻酔を打っての摘出手術は諦めざる終えませんでした。
そのときもう覚悟は決めていました。長生きできないだろうと。でもそれから2年以上生き続けました。
今回も5月末に、食べることもできなくなり、寝たっきりになり、いよいよ覚悟したところ、奇跡的に元気が戻ってきました。以前のように固形のドライフードは食べられなくなりましたが、ネコ用ミルクや、チャオちゅーるのような流動食のような物は、食べることもでき、全く歩くことができなかったのが、また歩けるようになりました。
ただ、おしっこをしたくなってトイレに向かう途中で、お漏らしするようにはなりました。
介護生活は1か月と2週間以上あり、24時間見守る生活でしたが、寄り添うことができて良かったです。
昨日7月12日に荼毘に付されました。
奇しくも、安部元総理がゆかりの地をまわりながら、葬儀場に向かう時刻に、れもんも拾われて助けてもらった運送会社の前を通り、動物病院の前をとおり、セレモニーホールまで向かいました。そしてクリメーション(火葬)も元総理と同じ頃行われました。
わが家にきてくれたのも、最初に書いた不思議な巡り合わせです。幸せな縁です。
とても長生きしてくれました、いまでも、あのつぶらな瞳を思い出すと涙が湧き出し、鼻の奥がツーンと痛くなります。
僕の人生の3分の1近くも一緒に、楽しく過ごしてくれたことに感謝です。
本当にありがとう。天国でも自然のなかを走り回ってね。
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