土曜日, 6月 25, 2011

[6/25 Sat] ▽お土産の野菜


 今週友人から旅行のお土産で野辺山の直売所で買ってきてくれた野菜です。大きな大きな舞茸、おいしそうな大蒜、長ネギ、ズッキーニ。美味しいものは大切に料理してます。

 舞茸と高菜、油揚げの油炒め。香り付けは胡麻油。ほかほかご飯にのせて食べます。
 舞茸のバター焼き。マヨネーズをトッピングしました。
 舞茸と長ネギのスープ。
舞茸の天ぷら。大蒜も天ぷらにしました。





 とても美味しい野菜をありがとう(^_^)/~
 

[6/25 Sat] ▽初めてのカリカリ梅作り

 今年は青梅の豊作らしい。近くの元フルーツパークでも販売があったのですが今年は行きませんでした。昨年は確か一人の購入制限が2か3袋でしたが、今年は一人6袋、売り切れることなく夕方まで販売していたそうな。
 ということで’格安’では今年買えなかったけど、スーパーでの安めの梅を購入しました。2週間程前には1Kgの梅を、梅酒と梅シロップの半々漬けたのでした。そして昨日初めてカリカリ梅作りに挑戦しました。ネットでみると皆さんいろいろな漬け方がありますね。梅の種をとり、酢、砂糖、焼酎少々、そして赤ジソで漬けました。カリカリになりやすいように卵の殻も投入しました。
 とりあえず一ヶ月後どの様になっているか楽しみです。

[6/25 Sat] ▽哀悼 ピーターフォーク氏 

 先ほどYahooニュースでピーターフォーク氏が23日に亡くなったという記事を目にした。最近体調が悪いと聞いていたので心配に思っていた。
 中学生のときNHKで放送していたピーターフォーク主演の『刑事コロンボ』に夢中になっていた。土曜の夜、TVの前で亡き父と二人でワクワクして見ていた。今年に入ってからはAXNミステリーチャンネルでの完全版を毎週楽しみに見ている。全69話のうち今週は24話目であった。
 2週間ほど前に2005年に米国で出版され、昨年日本で翻訳出版された『ピーターフォーク自伝』を読んだ。そうなんだと驚いたのは、衣装の選択や、セリフの言い回し、あるいはアドリブを俳優に任せている点だ。あのコロンボの衣装を決めるとき、たくさん用意された服の中から、彼がスーツを選んだ。よれよれのレインコートは自分の家から持ってきたのもの。乗っているプジョーも何台も用意された車のうち、端の方で壊れかけていた車をフォーク氏が選んだ。こういう設定は監督が中心に決めるモノだと思っていたが、米国では役者がいろいろと決める権限があるようだ。スタッフみんなで作品を創りあげているといった感じなのだろう。そういえばハリウッド映画で渡辺謙氏も自らいろいろとアイデアを監督と相談したと聞いたことがあった。

 自分の人生の中において少なからずとも影響を受けたピーターフォーク氏に哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

[6/25 Sat] ▽4月、5月のランチ


 うちの二人の大学生のお昼のお弁当。毎日ではないけれど持って行っている。4月はまだ大して授業もなかったので弁当を持っていくのも少なかった。

 今シーズンのブームの弁当は、ホットサンド。肉、ハム、卵、オニオンなどをはさんで、ホットサンドメーカーで焼く。このメーカーは友達から結婚記念でリクエストしてもらったもの。23年使用している。電子回路がないと電気製品は持ちがいい。

火曜日, 6月 21, 2011

[6/21 Tue] ▽早、まる3年

  4月あたりからブログの投稿がほぼ停止していたら、今日でこのブログを開設してから早、丸3年の月日が流れたようです。この1年の間にはいろいろとありました。うちの奥さんが会社の業績悪化による失業があり、しばらく二人の専業主婦(and夫)状態が半年ありました。その後奥さんは100件目の求人応募で小さな会社に就職が決まったものの、パワハラともいえるプレッシャーにより結局3ヶ月で退社。お陰様ですぐに新しい会社が決まり現在通勤しています。
  世間ではこの一年でブログだけでなくTwitterがブームになり、スマートフォンが一気に携帯電話に置き換わりつつあります。TwitterやFacebookは東日本震災で通話できない電話のかわりに大活躍しました。中東ではそれらが国の歴史を変えるほどの事件も起こっています。3年前の秋からの世界不況も相変わらずで、好況にはほど遠い状態です。我が国では震災の影響もあり、今後の経済復興が闇に包まれています。
  この細々と活動しているブログでもコメントが入り、食器洗い機の部品の組み立てが参考になったと嬉しいメッセージがありました。勝って気ままに書いているこんなブログでも他人様の役に立てたことを嬉しく思います。

  ということで、今後も相変わらず、細々とブログは続けたいと思う次第です。よろしくお願いいたします。  ペコリ<(_ _)>

日曜日, 6月 19, 2011

[6/19 Sun] ▽今日この頃

相変わらず自分の中の’ブログ書き込みエンジン’のかかりが悪い。


    昨日は電車に乗っての久しぶりの外出をした。日本橋にある三井本館内の三井記念美術館「館蔵品展」だ。明治時代、江戸時代、あるいは室町時代の陶芸品、屏風、蒔絵などの展示だ。
展示品もさることながら1929年に建てられたこの建物に興味があった。写真はエレベータの回数表示盤。昔の建物には気品があるのだ。


   コメダ珈琲店の「小倉トースト」が大好きです。
そんな僕の今日の朝食は、焼きたてトーストにマーガリンを塗り、ホイップした生クリームと缶詰のあずきをのせて食べました。
  午後、フランス語検定の試験から帰ってきた長女が、父の日だからとチョコチップをいれたビスケットを焼いてくれた。まわりがサクサク、中はふんわりのほっかほかのビスケットは美味しかった。
 
    昨年の秋に図書館で予約した『新片付け術 断捨離』の本がやっと自分のところにまわってきた。
断捨離とは「モノの片付けを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」とある。今自分に必要としているのはまさにそれなのだろう。
読み終わった今日から’断捨離人間’に「へんし~ん」となろうと考えている今日この頃。

月曜日, 6月 06, 2011

[6/6 Mon] ▽いただき物ふたつ

昨年の9月に米国オハイオ州に留学して、おとといロンドン経由で帰ってきた娘さんからのイギリスのお土産。欧州の甘いスイートは牛乳に良く合います。
文化の違う地で長い時間過ごしてくると、いろいろなことが見えてくるようです。一回りも二回りも大きくなって帰ってきた彼女は素晴らしいと思いました。

6月の新聞屋さんの折り込みチラシにあった、なぞなぞ3問を解いてFAXで送った結果、当選者5名の中にはいったようで、ぬいぐみが届きました。(身長40cm)

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約2か月ぶりのブログ投稿。とくに生活に変わったことはなく、ただただ、ブログを書かない習慣が身についてしまった為のお休みでした。

月曜日, 4月 11, 2011

[4/11 Mon] ▽部屋チェンジのすすめ

 2004年に住まいをリフォームをして子供たちの部屋として二部屋を用意した。長女が中学生になるのでそれを機に姉弟(きょうだい)別々にした。それまでは勉強はリビングでやってた。ある程度の雑音がある方が子ども達は勉強がはかどるから。
 リフォームで二部屋の仕切りを開閉可能な壁にした。開けることでワンルームになるように。そしてルールとして1年ごとに部屋を入れ替えて使用することにした。部屋の大きさが多少違うから公平にという意味があったのだが、大きな利点は部屋の整理整頓が部屋替えのときにできることだ。学生は忙しいから、すぐに散らかった状態になる。同じ部屋のままだと一気に片付けるタイミングを逃してしまう。現に長女が高3に進級したとき、受験を控えているからということで本人の希望で部屋チェンジを中止した。もう翌年も二人が忙しい理由からだったか部屋チェンジをしなかった。そうしたらモノにあふれ、足の踏み場もない状態になってしまった。長女は父親の血を素直に受け継いでいるせいか元々すぐにメチャクチャな状態になった。長男はわりと部屋をきちんとしていたのだが、野球部活動で忙しくなると部屋の中は野球道具などで散らかり始めた。
 ということで3年ぶりの部屋チェンジがやっとのこと実施された。一斉にモノを移動するから、いるモノいらないモノをしっかりと仕分けでき、整理整頓ができるのだ。チェンジした後は部屋はさっぱりと生まれ変わる。片付けには’部屋替え方式’はとてもおすすめです。

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 今日はひっそりと誕生日を迎えた。年齢を重ねると大々的に祝ってくれることはない。子どもの頃だったら悲しいだろうが、今では祝ってももらわなくても淋しくはない。

 おっと今一瞬停電が発生した。(21時30分頃) 数秒後には回復。そしてまた停電発生。停電になると復旧後5分くらいインターネットのリンクがダウン状態になるので、このブログの入力が正しくできない恐れがある。

 ということでブログの書き込みは終了としよう。

 追伸: また停電発生! 瞬断だけど、3回電気が切れるのは珍しい!

日曜日, 4月 10, 2011

[4/10 Sun] ▽桜満開

 選挙の投票帰りに元フルーツパークへと続く桜並木を歩いた。このところの計画停電を実施しなくても良いほど、暖房機器を使わなくてよい暖かさが続き、桜はすっかり満開となっていた。
 長男は大学に通うようになり、新人歓迎会が何日かあったとのこと。これからお酒を飲む機会が増えてくるだろう。いままではほとんどアルコールを口にしていないから’免疫’ができていない。先日日本酒の冷やをおちょこグラスで一緒に飲んでみた。一口飲んで「まずっ!」であった。今夜は、以前山梨の白州にあるウィスキー工場でお土産で買ったミニボトルセットが、残っていたので一緒に飲むことにした。リザーブ10年もの。まずはロックで。やはり「まずっ!」であった。水を足して水割りにしたが、やはり口に合わないらしい。ビールも白ワインも好まないらしく、しばらくは甘い酎ハイを主に飲むことだろう。
 家族でビールや日本酒を呑みに行く日はいつになるかな。楽しみです。

水曜日, 4月 06, 2011

[4/6 Wed] ▽今日のお店の様子

 ブログの更新が1週間滞っている。ということで先週に続きお店の状況。未だに開店前から並ぶ人はいるものの、1週間前より少なくはなっている。商品も増えつつあるものの、卵、納豆、牛乳は「ご家族1個」の制限があった。パンは個数制限は解除している。お米もトイレットペーパーも充分商品は並んでいる。
 納豆の生産量が少ない理由は、納豆パックの容器、ラベル、そしてタレのビニールのような石油製品が納豆屋さんに納入されないことであるとTVでやっていた。納豆は人によっては何週間も食べなくてもいいという人もいるが、僕は納豆は必需食品だ。納豆とご飯があればそれだけで食事は満足なくらいだから。


 今から1142年前、西暦869年平安時代の貞観(じょうかん)十一年に東北地方で大きな地震が発生した。2004年から東大地震研究所など大学グループが現地調査して研究している、2007年に発表した研究内容では、1000年前の地震、津波と今回の地震、津波が非常に似ているらしい。この研究を活かして今後の地震津波対策を考えていたと思うが、間に合わなかったことになる。しかし仮に1000年以上前の大地震を解明しても、今、生きる人たちが1000年前の大地震が再びこの時代に発生するとは思わなかったのではないだろうか。
 明治時代1896年に発生した明治三陸津波により多くの被害で出たことから、当時の先人は子孫のために「ここより下に家を建てるな」という石碑を立て、それを忠実に守ったこの石碑のあった地域の現代の人たちは助かったとニュースで報道していた。


 現代の我々は1000年後の日本の人たちのために、この時代の大災害を知らせなくてはいけない。仙人がいるならば、是非その人(!?)が未来の人に知らせればいいのだが、残念ながらいらっしゃらないのだろう。1000年後までその時代時代毎に形が変わるであろう、データの記録や言語をバケツリレーのように、そして変換しながら各時代に伝えていく必要があるのかもしれない。

水曜日, 3月 30, 2011

[3/30 Wed] ▽今日のお店の状況

 地震の日から20日目の朝。主に野菜以外の商品を中心に週一の買い出しにオーケーストアに行く。開店15分前の8時15分の時点で、1階のお店の入り口に10名ほど開店待ちのお客さんが並んで待っていた。屋上の駐車場にはすでに車が10台程駐車していて、皆、車内で待っている。
 開店してお店にはいる。先週買えなかった納豆の売り場へ。購入できた。しかしぐるっとお店を回った後で、見てみると綺麗に納豆はなくなっていた。今納豆ブームなのか!? 牛乳や卵はご家族1パック。以前は10個で100円前後のお買い得卵パックが、鳥インフルのせいなのか倍近い値段だ。食パンも購入個数の制限はなくなっているものの、いつもほど商品の数は揃っていない。お米はいつものブランドのお米はなく、緊急で入荷したと思われるお米が並んでいた。
 朝一番にしか入店しないので、日中に商品が新たに入荷しているのだろうかわからない。入荷しないと人気商品はあっという間に商品が欠品になると思うのだ。

 ガソリンの値段は徐々に上昇している。いつものガソリンスタンドのレギュラーガソリンの会員価格はリッター149円だった。道には昨年のエコカー減税で購入した方のトヨタの新型プリウスを、半端ではない台数を見かける。それもそのはずで、あの大衆車カローラの持つ記録を抜く台数が売れているわけで、よく見かけて当然だ。軽自動車も維持費が安い点からだと思うが、リーマンショック頃からか黄色いナンバープレートを見かける。かくゆう自分もオーナーの一人である。現在新車販売の3分の1が軽自動車だというから多くてこれも当然だ。世界的に見ても自動車の大きさはコンパクトに、排気量もスモールになっていて、エコロジーで、かつエコノミーが世界の人に求められているということなのでしょう。

 さて来週にはお店の状況はどのように変化しているだろうか。

火曜日, 3月 29, 2011

[3/29 Tue] ▽大学進学決まるの巻

 3月8日は国公立の大学の合格発表日だった。最近はどこの大学でもネットで合格の確認ができる。長男はあえてネットで確認せずに、大学のキャンパスまで行って見ることにした。第1志望は国公立大だったのだが、センター試験の成績はずば抜けて良かったわけではなく、2次試験で相当いい点数をとらないと厳しい状況であった。午前11時からキャンパスで発表されていたが、長男は午後1時を過ぎてから、「受かったメールするよ」といって重い足どりで出かけていった。                                                                                              長女とリビングのテーブルで、おのおの何かをしていた。午後2時を過ぎた頃、携帯のメールの着信音がした。すぐに携帯を手に取らないのを見て長女は「早くメールを見なよ。」と言った。メールを開く。 長男からだった。『受かっていた。何か怖いから家にいるならパソコンか電話で確認してみて 1503070Y』とあった。すぐさま『おめでとう♪ ネットで調べてからメールする』と返信した。ネットの合格発表は掲示の発表のように学部学科毎にずらっと番号は並んでいる。メールにあった受験番号で上から順に目で追っていく。確かにあった。即メールで合格していたことを知らせた。ふとみると長女の目は涙で濡れていた。
 後でわかったことだが長男は記憶していた受験番号で、あまり人が来ていないキャンパスの掲示板から合格番号を探していた。「ああ、やっぱりないか」とがっかりした。念のためバッグから受験票を取り出してみると記憶していた番号と違っていた。正しい番号で探すとあったのだ。その場を見ていたわけではないが、きっと長男はガッツポーズを撮ったに違いない。
 
 これで受験の日々は終わった。結果をみるとセンター試験利用の2つの私大の試験を含め、7つに受験のうち、6つ合格、1つがだめであった。 昨年11月の模擬試験では国公立の合格は到底難しい判定値だった。私大もけっして合格確実圏内などはなかった。親から浪人はできないからと言われていたので、いろいろと受験したわけだが、こんな結果なら受験数を減らして受験代金を節約したかったと悔やんでしまう。とはいっても合格発表が毎日続いた一週間はハラハラしながら毎日合格を祈っていたのだが。

 ○ ○ ○

 おととい大学の入学式が中止という知らせがあった。このところ各大学で、地震の影響から入学式を中止、あるいは延期、または全学部での入学式をやめ学部毎に実施するといった変更発表がある。長男は入学式に着るスーツを持っていなかったので、地震のあった翌日にちょうどセールをしていた洋服の青山で、お値頃スーツを買ったのだった。しかしいつ着ることになるのだろうか。



             
           

金曜日, 3月 25, 2011

[3/25 Fri] ▽影響の余波

 プロ野球のセ・リーグの開幕日程がパ・リーグと同じになった。現在の地震後の状況、電力不足を思うと日程を遅らせて良かったと思う。
 その反面、長女がアルバイトが決まっていた球場の仕事もずれることになった。なかなかバイトが決まらず、やっと決まったと思ったらの出来事だ。4月の開幕まで自宅待機かと思っていたが、球場側の計らいで、予定していた球場の仕事とは別の球場の仕事を紹介してくれた。しっかりしている会社はバイトだからと切り捨てることなく、ケアをしてくれる。とても嬉しい。

 そのことがあり急きょ本籍地の証明書が必要となった。本籍地は移してないため、世田谷区まで行かなくてはいけない。長女と区の出張所のある二子玉川までドライブとなった。2年ぶりくらいの玉川高島屋の1Fは有名ブランドのショップで占有されていた。そんな店の並ぶ中に場違いなように小さな出張所はある。また二子玉川の新規開発で元二子玉川園の遊園地跡はすっかり新しい街並みになっていた。
 ここまで来たので長女を自分の生まれ育った世田谷の奥沢まで案内した。子どもの頃は幅が広く、長い道のりがとても狭く感じる。実家のあった場所の前を通る。家並みはすっかりと変わっている。母校の小学校にも行ってみた。(写真) もともと狭い校庭の小さい学校だったけど、今見ても都会の中の学校でとても小さい。長女も『随分小さいね。』といっていた。
 思わぬ展開で懐かしい街まで出かけたのであった。