火曜日, 7月 12, 2016

[7/12 Tue] ▽book 「暮しの手帖」

 昨日のニュースで7日に永六輔さんが永眠されたことを報道していました。

 永さんのラジオ番組を十代の中学生時代に聞いて、社会のことを勉強したと思っています。
特に土曜日の正午からTBSラジオの「土曜ワイドラジオ東京」は、半ドンで授業が終わって帰ってから聞いていました。番組の冒頭は久米宏の街頭中継から始まります。先日亡くなった「おもちゃのチャチャチャ」の詩や「火垂るの墓」の作者、野坂昭如さんも番組に出ていました。また昨年同じく亡くなった愛川欽也も永さんと親しく、番組にキンキンが登場したり、キンキンの深夜ラジオ番組に永さんがゲスト出演したりして、そのやり取りがめちゃくちゃ面白かったです。

 亡くなった皆さんはラジオの中で、戦争の悲惨さの話を常に話されていて、僕は戦争のことをラジオから多くを知りました。
 今の世の中、ラジオから聞いた戦争に突入するまでの道のりが、現在の世界に似通っています。戦争の時代を自分の体で体験し、反戦を訴えている人たちが、順々に天国に旅立たれています。
その人たちの話を聞いたことのない若い人たちは、悲惨な戦争を理解せず、戦争の道を進もうとしていたら、結局「歴史は繰り返される」ことになります。
人は自分の直接、悲惨な体験をしないと反省はできないのでしょうか。

 昨日夕方の番組でマツコデラックスさんが、先日中村レイコさんから永六輔さんのメッセージをもらったことを話していました。内容はいわなかったですが、永さんは以前からマツコさんのことが好きだったらしく、推測ですが、マツコさんのズバズバとものをいう気質を気に入っていたのではないでしょうか。きっとテレビ界のことをこれから永六輔に変わって、ズバズバと切っていって欲しいと望んだのではないかと思います。

 今、権力によって表から消されてしまう傾向が見られます。世界の共産国や、社会主義国の話ではなく、我が国においてです。政府(役人の悪さも含め)の暴挙は、国民は監視し、防がなくてはいけません。(都知事に一旦は立候補を考えた石田純一さんも、憲法改定反対を国会前で訴えてから、裏の力で表から消されそうになっての怒りの行動が都知事立候補だったと、自分は解釈しています。)

 立て続けに僕の思春期に知識を与えてくれたラジオの師たちが、亡くなっていく度に悲しさが増していきます。

 平和をひたすらに訴えていた永六輔さんのご冥福をお祈りいたします。

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「 「暮しの手帖」とわたし 」(ポケット版) 大橋鎭子著 暮しの手帖社刊 2016年3月発行 
 

 今放送しているNHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』のモチーフとなったエッセイ。雑誌「暮しの手帖」を作った'しずこさん'のパワフルな生き方が素晴らしいです。

 現在TVでは唐沢唐沢寿明演じる花山さんと、とと姉ちゃんが新しい雑誌を創刊する直前の話をやっています。このエッセイも「暮らしの手帖」を作る話から始まります。(その前のお話はその後に書かれています)

 編集長の花森安治もまた、かたくなに自分の考え方を曲げずにいいものはいいという考え方。これはアップル社の故スティーブ・ジョブズにも似た面があるように思えました。

 鎭子さんのこの本に書かれているさまざまなエピソードは、ドラマでは、脚本家の西田征史氏に、違う形で表現されています。

 暮しの手帖は、広告収入をとらないから忠実に物事を伝えることができます。暮しの手帖は反戦をうたった雑誌でもあると思っています。
 今の新聞や雑誌、はたまたテレビは、スポンサーがなくては経営できません。よって偏った記事や番組になってしまう傾向が出てしまいます。
 ジャーナリズムは真実を伝えないと、いつしかまた、「この道はいつか来た道」になってしまうと恐れています。

最後に鎭子の言葉を。
「物事は、これって思ったときにパッとやらなきゃダメよ、私なら今日会いに行くわ」



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