水曜日, 8月 06, 2008

▽なぜかナミダが...

 昨日、脳学者茂木健一郎氏がMCのNHK「プロフェッショナル」で『特集・宮崎駿のすべて』を放映していた。『崖の上のポニョ』ができるまでの300日を小型ビデオカメラはドキュメントしていた。宮崎駿監督をはじめとするアニメーター達の苦労して作品を作り上げていくプロジェクトの様子を見ていると、何か胸騒ぐものを感じた。物作りの世界に身体が著しく反応したためなのだろう。
 『ポニョ』が完成するまでの宮崎監督の苦悩も映し出されていた。監督は思いついたアイデアを手書きのノートブックに書き留めている。クライマックスの絵コンテのイメージが描けず、作成が遅れに遅れていた。監督は頭を抱えながら、アイデアノートを何度も見て最高の絵コンテをひねり出そうとしていた。本人にとっては苦痛の時間だっただろう。しかし、できあがった後の監督の顔は満面の笑みだった。カッコイイと思った。

 見ていて不思議なことが起こった。宮崎監督のお母さんの写真が画面に大きく映ったときだった。セピア色の写真はまだ若い頃のお母さんだった。僕の目から涙が溢れ出したんだ。声も出そうになった。TVを見ている自分の後ろで違うことをしている子ども達がいたので声を押し殺した...。
 なぜだろう、いろいろ考えた。僕の母は自分が生まれてすぐに亡くなった。赤ん坊だった僕には母親の顔の記憶はない。十数年前に親戚からもらった数枚の写真だけが、母の容姿を初めて見るものだった。写真が何かの引き金になってフラッシュバックしたのだろうか? 結局のところ原因はわからない。
 番組の中で宮崎監督は、ポニョと宗介との再会で思いっきり抱き合うシーンを描いた原画を手直ししていた。アニメーターの描いた抱き合う表現が喜びに満ちていないからだ。監督は今は亡き病気がちで強気の母親を常に作品にキャラクターとして描いていた。幼少のとき監督は入院していた母親に抱っこして欲しかったが、病状が悪くそれはかなわなかったとナレータは言っていた。監督も大好きな母親に抱きしめてほしいと思って、作品の中で夢を描いていたのだろう。
 母親に『ぎゅっ』と抱きしめられたら、どんな感じなんだろう。小さな体の子どもが大きく柔らかい母親の体に抱きしめられたら。大きい大きい安心感を感じるのだろう。いっぱいあたたかいんだろう.....、 と自分で想像してみた。
 この世界には望んでも叶わない子ども達はたくさんいる。自分だけではない。でも一生引きずってしまうのだろうと思ってしまった。今度一人で酒を飲みながら、自分の母親を思い出してみよう。僕のDNAにその記録が残っているかもしれないから。
 

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