火曜日, 7月 29, 2008

▽エコノミー症候群

 ニュースで15年間で飛行機搭乗でのエコノミー症候群で亡くなった人が30人いたというのを聞いた。たしかに狭い飛行機の座席に長時間座っていると、拷問のように感じる。もっと全体に余裕をもった座席にして欲しいものだ。
 ちょうど10年前の1998年は米国出張で4回渡米した。米国で販売するためのインターネット通信機器の開発のためだ。そのときまで飛行機はたった3回しか乗ったことがなかった。高校生の時レコードショップで応募した「森田つぐみと一緒に北海道1泊2日ツアー」に当選して、アイドルの森田つぐみのファンでもないのに参加した。行きはフェリー、帰りが飛行機だった。それが初めての飛行機搭乗。あとは20年前の新婚旅行でニューカレドニア往復の2回で計3回なのである。
 1998年の渡米の際には日本-米国間の国際線のほか、米国内の移動のため国内線に搭乗し、この年だけで21回も飛行機に乗った。それまでとのギャップがあまりにでかい。仕事は会社の米国法人が西海岸のロス近郊にあり、また動作テストのために東海岸のニュージャージ州やアラバマ州、サウスカロライナ州と開発場所が様々だったため、飛行機での移動が当たり前の国だから、当然それだけ飛行機に搭乗することになったのだ。
 飛行機に乗った21回の内、ほとんどがエコノミークラスの座席だ。ビジネスクラスは2回だけ。米国国内線でエコノミーチケットが取れずしかたなくビジネスクラスに乗ったとき、そして最初に渡米するときに成田から国際線に乗ったときだけ。渡米の際はたった一人だったので不安な気持ちで一杯だった。成田のJAL国際線カウンターで搭乗手続きする際に、JALのお姉さんが無料でエコノミーチケットをビジネスクラスに切り替えて乗せてくれたのだ。ちょーラッキーだった。当時はエコノミーは映画の画面は大きいスクリーンで見るのに対し、ビジネスは各座席に液晶画面があって、好きな映画を好きな時に見ることができた。そしてなんといっても食事が懐石風の美味しい料理だった。最初にビジネスクラスの”リッチな”経験をしてしまうとその後のエコノミークラスの搭乗は辛かった。
 米国には合計2ヶ月はいたけど、いろいろ面白いことがあった。またの機会に思い出を書くことにしよう。

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